プロフィール
このプロフィールページでは日本画家 梅原幸雄画伯の経歴等だけでなく、画伯の人物像や画風、作品から感じ取れる印象までを余すことなく伝えていきます。
経歴
1950年 |
三重県度会郡南伊勢町にて出生 |
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1978年 |
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻 卒業 |
1980年 |
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻 修了 |
1983年 |
東京藝術大学大学院美術研究科修士後期課程美術専攻 単位修得退学 |
1997〜2004年 |
東京藝術大学美術学部助教授 |
2005〜2018年 |
東京藝術大学美術学部教授 |
愛知県立芸術大学 客員教授 |
展覧会等
1983年 |
博士課程修了作品展 資生堂ギャラリー |
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1985年 |
薫風会(小林画廊) 以後、第10回まで出品 |
1986年 |
第8回新珠会 以後第10回まで出品 |
1987年 |
山種美術館賞展 |
1988年 |
第43回日本美術院春季展(以後、毎年出品) |
1990年 |
第75回日本美術院展(以後、毎年出品) |
1991年 |
イタリア、フランス取材旅行 |
2000年 |
個展(日本橋三越本店、名古屋三越、大阪三越) |
2002年 |
第1回東山魁夷記念日経日本画大賞展 |
2006年 |
東京藝術大学日本画第二研究室「素描展」 |
2007年 |
展覧会日本画「今」院展(パリ三越エトワール) |
2008年 |
東京藝術大学日本画研究室作品展「ひとつの現場から」(日本橋三越) |
2019年 |
個展(松坂屋上野店、松坂屋名古屋店) |
受賞歴等
1978年 |
東京藝術大学美術学部卒業制作 東京藝術大学買い上げ |
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1980年 |
東京藝術大学大学院大学院修了制作 東京藝術大学買い上げ |
1986年 |
第5回東京セントラル美術館大賞展優秀賞 |
1988年 |
第43回春の院展 春季展賞 |
1989年 |
第44回春の院展 奨励賞 |
1990年 |
第45回春の院展 春季展賞 |
1991年 |
第46回春の院展 奨励賞 |
1992年 |
第47回春の院展 春季展賞 |
1993年 |
第48回春の院展 春季展賞 |
2001年 |
再興第86回院展 文部科学大臣賞 |
2003年 |
再興第88回院展 内閣総理大臣賞 |
パブリックコレクション
今治市大三島美術館 |
日本画家 梅原幸雄画伯の人物像と画風
日本画家 梅原幸雄画伯は、故平山郁夫氏に師事し東京藝術大学に於いて日本画を専攻、
同大学在学中に制作した「微風」により初入選を果たしました。
以来画業40有余年、日本美術院賞、文部科学大臣賞、内閣総理大臣賞の受賞など数々の栄誉に輝き、
その生み出す作品の数々によって日本画の世界的認識を高める傍ら、後進画家育成にも奮励しており、
これからの日本画界の発展にも多大稀なる貢献をしていくことでしょう。
人物像
団塊世代直後の1950年に出生した梅原幸雄画伯は、純朴で真率、
人だけでなく自然や動植物にナチュラルに向き合い、
常に愛情と感謝の心で接しようとする非常にシンプルな人柄です。
また中央アジアや南アジアを中心に想いつくまま放浪の旅に出掛け、
時や場所にとらわれることのないノマド生活を好む様は、
まさに独創的で規格外なクリエイターとして自らを標榜しているように思えます。
現在は一画家の範疇に囚われることなく、
アーティスト YUKIO UMEHARA として活動する為に本格的な海外進出を視野に入れ、
その第一歩としてアジアを中心とした市場開拓、更に欧米進出に向けて活動を開始しています。
梅原幸雄画伯の画風とは(取材から得られた真実)
梅原幸雄画伯の人物画からは、モデルとなった女性の感情の息吹が感じ取れます。
それは彼女たちを描く画伯自身に感情の動きが存在し、それが次々とモデルの感情に写し出され変化しているように思えるのです。
つまりは喜び、哀しみ、信頼、安堵といった心の奥底に潜む感情が、画伯と出会いモデルとして描かれていく中で、
自然そして必然として湧き上がったものであり、観る者個々によって感じたことが違うという興味深い取材となりました。
梅原幸雄画伯は女性、子供、老人といった社会的弱者を対象とする人物画が多くあるのも特徴ですが、
特に子供たちが放つ感情の起伏は更に豊かな動きが感じられ、観る者にとっては思いがけない新鮮且つ嬉しい衝撃となるのだと画伯は語っています。
子供たちの驚き、不安、防御、逃亡といったネガティブに捉えられがちな感情も、画伯の優しさを感じ取った瞬間から、画伯に新鮮な感動を与えてくれる表情に変化してくるのでしょう。
また動物を描くときの梅原幸雄画伯は一心不乱に集中しており、己独りだけの無之境地にあるため動物の感情を感じ取ることはないそうですが、
画伯によれば仕上げていく段階で感謝の心を込めているうちに、モデルの動物にそれが乗り移るのではないかということでした。
風景画においては、たとえ毎日眼にしている景色であっても、いつの日か画伯にインパクトを与える瞬間があるそうで、
その一瞬を逃さず頭脳のファインダーを通し記憶に焼き付ける。そして感動を消し去ることなく、その作品に魂と感謝を込めて描くのだと語ってくれました。
寡黙と云われる梅原幸雄画伯がインタビューに応えてくれた言葉の数々から察するに、画伯の作品はただ彼に感動を与えてくれる事物に感謝し描いてきた結果生まれたものであり、
これからも永遠にそのスタンスを変えることなく描き続けようとしているだけなのだと思わざるを得ませんでした。
梅原幸雄画伯が語りかけてくれたその言葉一つ一つには一切の装飾がなく、まるで少年が初めて何かに出会い、若しくは毎日観ている事物がある日突然少年に感動の一瞬を齎し、
それを一心不乱に描き始めるさまを思い浮かべました。
そこでの感動を一作一作完全に記憶し、再現するかのように訥々と語る画伯には少しも取り繕ったところもなく、あたかも弟子に対して優しく語りかけているかのような印象を受けました。
現代はまさに魑魅魍魎が跋扈する時代であり、一般人にとっては精神的にも疲労困憊になりながら、
何とかやり過ごしているだけの殺伐とした日々を送っているだけという、本当に暮らし難い世の中になっています。
しかしそんな中で出会った梅原幸雄画伯の生き様は、何も持たない現代人の憧れであり、
多くを持っているにも拘わらず感じる心を持たない人が掴もうとしても瞬く間に過ぎ去ってしまう、
それはまさに亜細亜の風と呼ぶに相応しいライフスタイルなのです。
亜細亜の風 YUKIO UMEHARA にとっては色々な意味で狭過ぎる日本国から飛び出し、グローバルアーティストとして世界で更なる活動をするために、
今もその巨大なエネルギー源となる熱風を溜め込んでいるのです。